これからの時代の働き方

神田誠人の菩薩業

 

お金のためにではなく、本当にお金から自由になり、本当の今を生きる知恵

 

自由とは何か?

 

人々は技術の発展と共に様々なテクノロジーを生み出し、私たちは日々その恩恵を受けて生活しています。世の中にはいわゆる「便利」なものが溢れている。そして、いつしか私たちはその「便利」なシステムの中に組み込まれる形で生活をすることとなっていく。各地に備えられた自動販売機ではお金を入れれば、飲み物は手に入るし、コンビニに行けば、おにぎりや好きなお菓子だって手に入る。電車に乗れば遠くの街にもすぐに行ける。スマホを使えば遠くの友達とも瞬時に繋がることができる。とても「便利」な世の中です。とても「便利」である一方私たちは大切なものを見失いやすい状況にも陥っている。そのもっともたるものが「お金」ではないでしょうか。私たちはこの「便利」が当たり前になってしまった世界では「お金」さえあればなんでもできるかのような感覚の中で生きている。それは一つの現実ではありますが、本質ではないのです。よくこんな言葉を耳にします。「食べるために働く」つまり、食べるため、生活をするためにお金を稼ぐのだと。現在の世界では実質的に意味は同じではあるものの、やはりこれは本質から外れています。なぜなら「お金」そのものは食べることができないからです。では、次のことを想像してみてください。「もし1000万円持っていたらあなたはどんなことをしますか?」ここでは嘘をつく必要はないので、自由に考えてもらってかまいません。高級車を何台も買いたいでも、世界中を旅したいでも、貯金してとっておくでもなんでもかまいません。嘘いつわりなく考えられましたか?ではもしこんな前提だったとしたら、どんな風に気持ちが変わるか考えてみてください。「でも世界にはあなた一人しかいません。」えっ?こんなことは想像もできないですよね。さすがに極端だったので、「世界に二人きりで、それはお互い異性で、まさにアダムとイブになったような状態」としましょうか。それでもあなたは同じようなことを考えますか?高級車に乗りたかった人はまずそれを作るところから始めなければいけません。そのためには資源を調達し、そして、それを加工する工場を作らなければいけません。そして、なにより生活をしていくために農作業もしなければいけません。でも手元には一人当たり1000万円あるので、合計で2000万円あるのです。でもこんな世界ではこの「お金」は単なる紙切れでしかないのです。つまり、お金とは払う相手がいてやっとそこに価値が生まれるのです。だから、いくらお金を持っていようと「価値を提供してくれる人」がいないことには、そのお金の価値はゼロということになります。1000万円もあるのにゼロなのです。ということは当然「お金があれば自由だ」は成り立たなくなります。「お金があれば自由だ」と考えるのは自由ですが、お金の稼ぎ方だけを身に付けて、自分は自立しているなどいう考えはお勧めしません。なぜなら、そもそも私たちは相互依存、つまり、価値と価値の交換の中でしか生きられないのですから。つまり、自由など本当の意味ではどこにもないのです。しかし、私たちは自由を求めるでしょう。そして、求めていいのです。そこでヒントになってくるのは「なぜ私たちは働くのか?」ということです。この本質に気づけば、私たちはその瞬間から自由を手にすることができます。ついでに、差別も争いもゼロにはならなくとも限りなく少なくなるのです。では働くとは何か一緒に考えてきましょう。

 

なぜ私たちは働くのか?

 

これを考えるためには先ほどの「アダムとイブの仮定」を使ってみましょう。世界に二人だけしかいない場合、食べ物の調達から住処の建造まであらゆることを自分たちでやらなければなりません。話を分かりやすくするために、現代のテクノロジーの知識は全てあることとし、寿命を80歳程度と考えてその中ですべての文明レベルを手に入れると仮定します。この時最初の何年かの仕事はどんなものになるでしょう?農作業をしてお米を作らなければならないでしょうし、それをより効率よく行うために道具を作るのも仕事です。また、住むための家を作ったり、木を切ったり、それらを加工したりするのも仕事です。では、時間を数年経過させます。すると、家は作ったら壊れない限りは使い続けられますし、作った道具も同様です。すると、それらを作るのに必要だった時間は余りますので、別のことをすることができます。では、稲作をより効率的にやるために川から水路を引っ張って水を引き入れる仕組みを作ることにしましょう。そして、また時間を進めます。すると、稲作の効率がよくなって、より多くのお米が採れるようになりました。多くのお米が採れるようになったので、二人では食べきれないですし、田んぼの面積も広くなってきたので子供を作って手伝ってもらうことを考えました。では、また時間を進めます。人手も増え、農作業の効率はさらにあがったので、暇を持て余すようになります。するとみんなその暇な時間を使って趣味を始めます。そしてある時、最初は趣味のつもりで、つまり、好きでやりたくてやっていたことが家族を喜ばせていることに気づきます。例えば、魚取りが好きだったお父さんがそれを焼いて食べてみたところ、非常に美味しくて、家族にも食べさせたら喜んでもらえたといった具合です。もうここまでくれば想像もつくと思いますので、仮定の話はここまでにします。

 

実は上の生活の延長線上に私たちの今があるのです。そして、それはどんな時代になってもこの本質の部分は変わりません。ではわかりやすくするために私たちの暮らしが豊かになる仕組みについてまとめてみます。

 

生きていくために必要なこと

1 生物レベルで必要なこと(食べ物、住処)

2 発展的に生物レベルで必要になったこと(道具、設備)

3 集団生活で必要になったこと(共通のプラットフォーム、法)

4 暇になって必要になったもの(暇つぶし=趣味)

5 発展的に暇が与えたもの(仕事、価値、生きがい)

 

これらは全て繋がっていますが、数字が小さくなるごとに生物の根本的に必要なことになっていきます。すごく乱暴に言ってしまえば、人間は住処と食べ物があれば最悪生きていけるけれども、もて余した時間で楽しいことしたいよねという話です。お金はここでは3に該当します。つまり、単なる決め事であって、ツールです。昔は物々交換だったものを手続きを簡単に済ませるために作られたものがお金です。しかし、この3の中にある共通のプラットフォームが誕生したことによって、私たちの生活は激変したといっても過言ではないでしょう。今現在では日本全国どこにも道路が整備され、発電所からは電信柱伝いに電気はどこまでも届き、携帯の電波は全国でつながるようになっています。ここで注目し欲しいのはこのプラットフォームの維持なしに私たちの発展はないということです。どういうことかというと、例えば車産業にしても、そもそも道路がなければ成り立たないですし、工場を動かすためには電気も必要でしょう。つまり、産業の発展は共通のプラットフォームを前提としないと成り立たないということです。そして、その共通のプラットフォームも突き詰めていくとそれだけでは成り立たないのです。例えば、道路がいくら整備されても、車で運ぶものがなければ機能しないですよね?発電所も電信柱が全国に張り巡らされても、電気を作れなかったらなんの機能も果たしません。これは何を表しているのか?実は私たちの共通のプラットフォームを機能させるためには、最終的には資源と人材、手っ取り早くいうと「仕事」が必要なのです。そして、人が仕事をするためには当然生活をしていかなければいけないので、そこには農業などの一次産業が前提になってきます。つまり、私が前章で本当の意味で自由はどこにもないというのはこのことなのです。私たちは本当の意味で独立して存在することができないということです。この事がわかると実はそこに救いがあることも見出すことができるのです。このことを理解することで仕事観が変わります。そして、その仕事観があなたを自由にするのです。

 

自由に働くとは?

 

ではこれまでの話を踏まえて、みなさんに質問します?「じゃあ仕事ってなんだと思いますか?」色んな答えがあると思います。お医者さんです!農家さんです!配送トラックのドライバーです!大学の研究員です!国会議員です!社長です!と職業の名前をや役職を想定された方。残念ですがそれは従来の仕事観です。ではヒントを与えます。そもそも私たちの生活は独立して、もう一回言います、完全に独立して成り立たせることができないのです。ではお医者さんから考えていきます。お医者さんはいくら難しい勉強をしてきたとは言え人間です。患者さんを元気にするためにはまず病院に勤めなければいけないので、病院を建てた人たちと無関係にはなれませんね。また、診察の際に使う道具も作ってくれた人がいなければできないので、無関係ではありません。そして、その道具を作る際には当然資源が必要ですし、工場を動かすために電気が必要なら発電所、さらにそこで燃やされる石炭が必要になります。つまり、お医者さんという職業は上にあげただけでも建設業、製造業、サービス業、そして、ご飯も食べないとすべての人は活動できないので一次産業とこれらの何一つが欠けても成り立ちません。ではこのことから逆説的にこんなことが言えるのではないでしょうか?「建設業も製造業もサービス業、一次産業もすべてお医者さんです。」そんなはずはないと思いましたか?でも実際は病院がなければ診察できませんし、使う道具がなければ困ってしまうでしょうし、お腹が空いていたら満足に働けないでしょう。しかし、実はまだこれだけでも不十分です。なぜならここで行き着いた答えも単なる職業の名前でしかないからです。ではここでもう一つヒントを追加します。「もし仮に「建設業も製造業もサービス業、一次産業もすべてお医者さんです。」が正しい場合、それによって利益をもたらされるのは誰ですか?」ということです。これは最終的なお医者さんのところで見るのがわかりやすいでしょう。当然利益を得るのは、お医者さんが診察した患者さんですよね。診察を受けて、適切な処置をしてもらい、元気になったのは患者さんのはずです。とするならば、上にあげた全ての産業の人たちが協力して「その患者さんを元気にした」ということができないでしょうか?とするならば、上にあげた全ての産業の人たちはお医者さんだとも言えますし、患者さんを元気にする人たちだといえるはずです。そうです。これが本当の自由な仕事観です。「人に価値を提供すること」こそが仕事なのです。なので人を職業で分けるということ自体が実はナンセンスなのです。例えば、あなたがコンビニの店員だったとしても、あなたは同時にお医者さんになることができるのです。なぜなら、あなたがおにぎりを販売したからこそ、そこで買い物をしたお医者さんはお腹が空かずに済んで診察することができたのです。間違いなくお医者さんにも患者さんにも少なからず影響を与えているのです。これが全ての職業は独立して存在することができないということです。であるならば最初から分けなければいいのです。職業で分けるのではなく、「自分が提供したい価値」を仕事にすればいいのです。ではその提供したい価値はどのようにすれば見つかるのでしょうか?それも一緒に探しにいきましょう。

 

提供したい価値は簡単に見つかるが簡単に見つからない?

 

提供したい価値を探すうえでみなさんに最初に取り組んでいただきたいことはとてもシンプルです。それは「心の底からやりたいこと」を探すことです。この時点では「人に価値を与えられるか」は度外視にしてかまいません。この時点で「価値を与えられるか」を視野にいれて考えると上の条件の「心の底からやりたい」が満たせない場合があるからです。もちろん、勝手に入っていた方はかまいませんが、とにかくこの時点では「人に価値を与えられるか」を無視して、「心の底からやりたいこと」を探してください。そして、可能な限り実際にやってみてください。これは本当に難しいですが、ぜひ挑戦してみてください。その理由としては「やりたいと思っていたことと、本当にやりたいことは必ずしも一致しない」からです。さらに言うならば、「本当にやりたいことは意外と自分自身でもわからない」からです。やりたいことをやらずに先延ばしにしてしまうのは、とてももったいないことです。例えば、今すぐできることを「10年後に○○しよう」とするのはおすすめしません。仮に10年後、本当にそれがやりたいことであった場合、それは結果オーライになりますが、そこで「あれっ!?思っていたのと違うな?」なんてなってしまってはその10年がもったいないです。この「あれ!?思っていたのと違う?」という違和感がとても大切なのです。これを繰り返さないうちには本当にやりたいことには中々たどり着けません。たとえどんな小さなことでも構わないので、やりたいと思ったことには積極的に挑戦していきましょう。そのうちに自分が本当にやりたいことが自然と見えてくるはずです。ではある程度やりたいことが見えてきた人は次のステップに進みます。それは「その本当にやりたいことでどんな価値を提供したいか」を考えていきます。価値といっても大げさに考えることはありません。簡単に「こんな方法で人を喜ばせたい」といったものでかまわないのです。大切なのは自分自身が本当に望むことであるというのが大前提です。そして、さらに次のステップに進みます。それは「それを達成するために社会とどのように繋がるのか」を考えていきます。ここがこの章の肝になります。これによって、やりたいことを仕事と趣味にカテゴリー分けしていくのです。例えば、「歌うことが好きで、歌うことで人を喜ばせたい」としたとします。この時これを実現するために社会とどのように繋がるかを考えると様々な選択肢が想定できます。例えば、本当に歌手になって、大勢の人の前で歌うことで達成できそうだと思ったら、それは仕事になります。逆に、思ったほど歌である必要はないな、むしろ、別の方法で人を喜ばせられないか…と考えたならばこれは趣味になります。この時趣味になったものはやめる必要はありません。むしろ、趣味としてもっともっと極めて行くのをお勧めします。大切なのはどんどん好きなことを見つけて、それを仕事と趣味にカテゴリー分けしていくことなのです。この選択肢が増えれば増えるほどみなさんの人生は豊かになりますので、このカテゴリー分けの習慣を是非身につけて欲しいと思います。

 

なぜ仕事と趣味を分けるのか?

 

とても簡単な言い方をすれば「仕事は社会のために」「趣味は自分のために」するものだからです。しかし、分けると言っても本当の意味では分かれません。それは前の章で話したことと関連します。この仕事と趣味を分ける前はなんだったのかを思い出してみてください。そうです。「あなたが本気でやりたいと思ったこと」のはずです。であるならば、こう言いかえることができるのではないでしょうか?「私の仕事は誰かの趣味であるように、誰かの仕事は私の趣味でもある」さらにいいます。「であるならば趣味は仕事を活かし、仕事は趣味を活かすことができる」ということです。このことから導けるのは「私たちは好きなこと以外やる必要がない」ということです。ここで勘違いして欲しくないのは、その好きなことの選択肢を増やす作業をやめないことです。選択肢の幅が増えるということはそれだけ様々なものの影響を受けて生きることができるということです。趣味が増えれば増えただけ、それが仕事にも活き、またその仕事が活きれば趣味がより輝きます。

 

でもお金は必要なんじゃないの?

 

もちろん必要です。ですから、お金の目標も自分で決めればいいのです。要するに「○○したい」のところで、「年収1000万稼ぎたい」と設定すればいいだけです。この時考えて欲しいことがあります。それは本当にやりたいことをやるために必要なだけの金額を設定することです。前の章でも説明したようにお金は単なる道具でしかありません。あなたにとって社会に価値を提供することが目的であって、1000万円稼ぐことが目的になってはいけません。あくまで価値を提供するために必要なお金を稼ぐのです。

 

最後はバランス感覚

 

ここまでの話をまとめてみたいと思います。

 

・仕事は完全に独立して成り立つものはない

・提供したい価値が仕事の本質

・仕事は社会のために、趣味は自分のために

・誰かの仕事は自分の趣味、自分の仕事は誰かの趣味

・価値の提供に必要なお金を稼ぐ

・本気でやりたいことだけやる

 

これらは全て繋がっています。その大前提となるのが仕事は完全に独立して成り立つものではないということです。この大前提は私たちに大きなヒントを教えてくれるのです。一番下にやりたいことだけやると書きましたが、これは矛盾するのでは?と思った方もいると思います。お金も稼がなきゃだし、価値が提供できないことは意味がないんじゃないか?と。それはそれで一理ありますが、やはりこの大前提がそれを解決してくれます。例えば、歌が好きだから、歌だけ歌っていればいいのか?答えは、最初はそれで構わないけれども、大きな視点を持てばおのずと変わるのです。歌を歌うことで価値が提供できるならどんどんやるべきです。なぜなら歌を継続的に歌うためには生計を成り立たせなければいけませんので、たとえ歌でお金を稼げなかったとしても、他の方法で収入を得ているはずです。まずそこでも社会に価値を与えていますし、メインの収入が別の仕事であっても、歌で人を喜ばせていたならばその人の仕事は歌手です。その歌手という生活の中に働くというものが包括されているのです。つまり、はじめから「歌を歌いたい」の中には本質的には「仕事をすること」が含まれていたのです。これはあらゆることに言えます。ですから「やりたいことだけやる」というのはその「やりたいことだけをやる」を成立させるためのあらゆる行動をもともと含んでいるのです。ですから、やりたいことだけやると自然とそれを社会の関わりの中でどのように継続的に行うかを考えることができるようになるのです。なので、もともと人はやりたいこと以外できないのです。今そう見えていなくても、どこかで必ず繋がっています。どこかで何かの影響を受けて今もやりたいことをやっているはずなんです。だから、迷わずに「やりたいことだけ」やってみて欲しいのです。その「やりたいこと」が折り重なった時、そこにその人の「生き方」が生まれるのです。そして、この「生き方」こそが「社会に価値を提供すること」であり、「仕事」なのです。そして、その「生き方」はみんなで探していくものです。私たちは独立して存在することができないのですから。そして、この「生き方」を探す旅は死を迎えるまで終わりません。なぜなら「生き方」は「逝き方」でもあるからです。裏を返せば、死ぬまでずっと「生き方」を発展させることができるのです。さぁこの知恵を手にしたみなさんはもう「生き方」を探す旅の真っ最中にいることがわかったと思います。大げさなことはいいません。私もまだまだ旅の途中です。みんなで一緒に探せばいいのです。もともと一緒なのだから。一緒に素敵な「生き方」を探しに行きましょう。

 

たとえそれが地味でもね(笑)